クラウドと「大きな政府」

長年、お世話になっていたカルチャー教室が、年内で事務所を閉めることになりました。コロナ禍の影響もあるそうなんですが、一番の理由が「パソコン教室の生徒さんが集まらなくなってきたこと」だったそうです。
確かに昨今は、パソコンを触らなくても、スマホやタブレットでホームページ閲覧やSNS参加はできますからね。最近では、若い方でもキーボードのブラインドタッチができない人もいるとか。

こんな昨今のIT機器を取り巻く状況を考えると、何やら昔のワークステーションやネットワーク・コンピュータという考え方が復活してきた印象を受けます。
コンピュータの黎明期、巨大なワークステーションと呼ばれる巨大なコンピュータを中心にして、それぞれのパソコンは「端末」と呼ばれて、ワークステーションに接続することが前提だったそうです。

それがパソコンの性能向上(と同時に価格の低下)により、かつてのワークステーション並みのパソコンが一般の方々でも購入することができるようになり、そのような「中央集権的」な利用法ではなく、個々のPCそれぞれで処理する活用法が主流になったとのこと。

ただ、このような「地方分権的」な、個々のPCに依存する利用法ですと、いろいろと困ったことが起きるんですよね。例えば、PCの利用者がメンテナンス(アップデート対応やマルウェア対策)を怠ると、PCが動かなくなったり、ハッキングを受けたりするなどです。
また、複数のPC(職場用と家庭用など)を持っていると、それぞれのデータファイルが違っていたりして、そのやり取りが面倒などの問題も起きたりしますよね。

そんなこんなで昨今では、どこもかしこも「クラウド」が大流行です。これは大容量のデータをやり取りできる4Gや5Gなどの通信網を前提として、個々のITデバイス(PCやスマホなど)には最低限の情報だけを残して、重要なデータは中央のシステムに置いておき、必要に応じて中央システムとデバイス間でデータのやり取りをする方法です。

歴史は繰り返さないが、韻を踏む。

マーク・トウェイン

話しが大きく逸れますが、政治システムや統治体制の大雑把な分類として、「大きな政府」と「小さな政府」という二分法があるそうです。主な特徴をまとめると以下のようになります。

大きな政府小さな政府
「揺り籠から墓場まで」国民の生活全般の面倒を見てくれる。政府は、必要最小限の業務しかおこなわず、国民生活への干渉は極力、避ける。
税金などが高くなり、「働かなくても暮らしていける」といった風潮になる場合もある。税金は安く済むが、経済格差などが生まれやすくなる。

卑近な例でたとえると、「世話焼きお母さん」と「放ったらかしお父さん」といったところでしょうか。

この2つの統治システムは、その時代ごと、地域ごとで、それぞれの為政者と民衆が選択して、採用・実施していくもので、どちらかに優劣があるものではないと思います。

この考え方からすると、昨今のIT機器を取り巻く状況は、「大きな政府」へ移行して行っている段階のような気がします。

もし、統治システム同様にIT機器の状況も、「歴史を繰り返す」であれば、これから先はどうなって行くのでしょうか。シロウトなりに想像してみると、クラウドを前提にした「小さな政府」への揺り戻しが来るんじゃないですかね。

現在、GAFAと一括りにされる巨大IT企業による情報寡占が問題になっています。一部の営利企業に世界中の人々のプライバシーが収集されて、それが商売のタネにされていれば誰でも疑問に感じますよね。
そんな世間の声に押されて、IT機器の利用状況も個々のプライバシーを保護しながら、個々のデバイス分権型の時代が戻ってくるんじゃないかなぁ、なんて妄想したりしております。

ヒゲ剃りから考えてみました。

先日、長年、愛用してきたヒゲ剃りが動かなくなり、10年ぶりくらいに新しいものに買い替えました。長年、使ってきた道具には名残惜しさはありますが、世代交代ということで、新しいヒゲ剃りとの日々をスタートさせたいと思います。

ここでふと考えたのですが、
「なんで、ヒゲってあるんですかね?」

進化論によれば、生物の形や能力は子孫を残すために有利だから選択されて、今に伝えられているのだ、と説明するそうです。
ヒゲについても、かのチャールズ・ダーウィンは、ヒゲのある男性は、女性に好まれて、より子孫を残せたから、ヒゲが残っているのだ、と論じていたそうです。

でも、ヒゲが好きという女性もいれば、不潔だから嫌いという女性もいますよね。おおざっぱにヒゲがあるとモテるんだ、というのも暴論のような気もします。

また、時代によって、ヒゲのイメージは変遷しているそうなんです。例えば、日本の戦国時代などはヒゲがないと馬鹿にされたそうなんですが、平穏な江戸時代になると逆に嫌がられて、その後、明治時代になるとヨーロッパの影響でヒゲをたくわえることが流行する、などなど。
その流れで考えると、現代社会はヒゲ受難の時代ですかね。サラリーマンなど組織人として生きる場合、ヒゲをたくわえるのは禁止、という職場は多いように感じます。

さらに宗教や文化の違いまで考えると、ヒゲの役割は、ますます分からなくなってきます。一般的にイスラム圏では、ヒゲをたくわえるのは成人男性の証だそうです。また、厳格なユダヤ教信者は、立派なヒゲをたくわえていて、宗教上のタブーとしてヒゲを剃ることが禁じられているとか。

近代以前の大陸国家では、宦官と呼ばれる去勢された男性が宮廷の雑務をこなしていたそうです。その中でも歴代の中国王朝では、たびたび宦官が強大な権力を握って、嫌われていたそうなんですが、この宮廷雑用人はホルモンの関係でヒゲが生えなかったとのこと。なので、(三国志などでおなじみの)宮廷クーデーターなどあった時は、
「ヒゲの生えていない奴は、宦官だから殺してしまえ!」
などと、抹殺対象の目印になったこともあったそうです。こんな時、ヒゲをたくわえていない一般人は災難だったでしょうね。そう考えるとヒゲがあった方が、生存には有利だったんでしょうか。

このように、つらつらと思いめぐらせてみると、ダーウィンさんには申し訳ないのですが、ヒゲが生存上、有利だから残った、という話しも眉唾かなぁ、とも感じます。

話しは逸れますが、経済学などの世界などで「8対2の法則」というのがあるそうです。これは、ある会社で2割の社員が、全体の売上8割を達成している。多数ある商品ラインナップのうち2割が、全体の8割の売上を支えている、などなど、多くの分野で20%の構成要素が、全体の80%に相当する何かを生み出す、という法則だとか。

この理屈で考えると、生存上、有利だから残ってきた、というよりも、ヒゲも80%の構成要素として可もなく不可もなく残ってきて、毎日、我々、男性に面倒くさがらせながら剃られているのかな、とも思えてきます。
考えてみれば、我々が日常、普通に目にするものって、「8対2の法則」で言えば、だいたいが80%に分類されるものなんじゃないですかね。そんな80グループに分類されたからといっても、生存上、特別に不利な訳でもなく、普通に暮らしていける、というのが世の中なんじゃないかなぁ、なんて、ヒゲ剃りの交換から考えてしまいました。

視生活、快適ですか?

私は、物心ついた頃から目が悪く、メガネなしでは生活できません。そんな私たち、ひとりひとりの「視生活」について、丁寧に相談に乗ってくれるメガネ屋さん、メガネプラザONEさんにお邪魔してきました。

オーナーの山﨑さんご夫妻

目に関する悩みや今、使っているメガネについての困りごとなどある方は、JR稲毛海岸駅近くにあるお店を、ぜひ訪ねてみてください。きっと、その悩みごとに親身に相談に乗ってくれますよ。